「検索は、するな。」を読んだ

検索という言葉が現れて早十数年。
中学生の頃からある言葉だが、ケンサクとは僕の名前と同じなので、未だにドキッとする。

知人に勧められて「ケンサクは、するな。」という僕だけ仲間はずれにされた気になるドキッとするタイトルの本を読んでみた。

名前ネタはどうでもいいですw

まず、タイトル、帯を見ての感想。

タイトル

 「検索は、するな。」

 「できる人」のノウハウを、盗んではいけない


僕はプログラマですが、「ググれ」「コード見て盗め」という言葉をずっといわれてきたし、よく聞くし、実際僕もそうしてきました。
今でもこれは正しいと思うので、「変なことをいってやがる」「何をぬかすかワイキューブの社長」という先入観を持って読みました。



ちなみに、僕が「ググれ」「コード見て盗め」が正しいと思う理由は

「ググれ」

学校ならともかく、既に答えが出ている問題に敢えてハマる必要が無いうえに、
ハマる時間を他のことにまわすことができます。

「コード見て盗め」

先人の知恵や、コードの書き方において、実際に稼働しているプロダクトのコードは、
どんな技術書よりも優れたテクニックの宝庫だと思ってます。
僕もここから盗んだテクニックは数知れないですし、
今でも会社でスゴいと思ってる人のコードは言語に関係なくたまに読みます。


もちろん、割愛しますが、これらにはデメリットもあります。


なので、たまに完全にオフラインにして、全て自分の頭だけで考えて作業をしたりもするし、
あえてライブラリをつかわないでフルスクラッチで書くこともあります。

それは、僕は自分でかんがえて0から作る方が楽しくて好きというのもあるけど、
その後でライブラリを見ると世界はまるで違ったりするのを知っているからそうしてます。


しかし、先人を超えるにはやはり「ググれ」や「コード見て盗め」は必要不可欠なテクニックだと思います。


ググったりコードから盗むことで、
先人が試行錯誤した時間をワープすることができ、
先人が10年掛かったことを1年でできるのです。

盗み尽くして追いついたところで、そこから先の先人が越えていない壁は自分で超える必要があるとおもいますが、
自分の力をつかうスタートラインに立つためには
ググれ」や「コード見て盗め」は絶対に必要だと思います。


ちなみに、僕はまだまだそこに達していないので仮定の話です。
いつかは証明したいと思うけど、背理法だけはつかわずに証明します。




ここまでは、本を読む前に考えたことです。


と、脱線したところで本の感想に戻ります。

要約

脳を使って考えて脳を鍛えなさい
これがこの本の全てです。


自分で考える力が無いと壁を越えられない、深く考える力があればより良いアイデアもバンバン出る、一生成長できる。
ということを色々な角度から説明しています。


要するに、
盗み尽くして、先人が越えていない壁を自分で超えようとするときのスキルための心構え
といえます。


その他にも、「伝えることの重要さ」や「感じることの重要さ」等を説明していますが、
これも結局は想像力という意味で「考える力」がなせる技なのではないでしょうか?


30代でつまずかないための20代の生き方」とかいうタイトルでも良かったのかも?



で、僕の感想は「後輩に読ませたい」というエラそうな感想と、
僕は間違ってなかった」というナルシストな感想の二つです。

「後輩に読ませたい」

ホントに自分がおっさんみたいでイヤだけど、
最近は考えてトライアンドエラーをするという課程を経ずに「Google先生が教えてくれないことはできない」、「Google先生がいったことは必ず正しい」、
という感覚を持っている人が多いように感じられます。


さらに、人によってはエラーが起きたら、自分を疑わずに寸分の迷いも無く「エラーなんですけど?」と聞いてくる場合すらあります。
これではいざ自分が新しいことをしようとするときに、何から手を付けていいのかわからなくなるなと思ってよく注意しています。


本当は注意するはとてもイヤだし、それで不親切な人みたいに思われるのも無念なので、この本を後輩に読んでもらうことで、もう意地悪なことはいいたくないです。


※補足ですが、後輩がやる気が無い訳じゃありません。やる気には満ちあふれているけど、わかっていないのです。


「僕は間違ってなかった」

上記の前提条件が全てです。要約と先入観から派生した内容が同じですよね。
つまり、僕は間違っていなかった。


私事ですが、まだインターネットが普及しきる前の最後の年くらいだった2002年に、
大学を休学して、丸一年テレビ番組の制作会社でADとして働いていたことがありあます。
あの時、インターネットはまだ、今とはぜんぜん違っていました。

  • 情報番組を作るときは雑誌や新聞を買い集め、実際に現地にカメラとメモ帳を持っていって情報を探す。
  • お金の精算等は全て手書き。
  • 編集するためにVHSを大量に容易する。
  • 今ならAmazonで済むことも、実際に買いにいく。

そんな根性だけでガンバルワークスタイルだったから、月に1日休めるか休めないかでした。


そのハンパ無い重労働と、学生を続けてる友達へのうらやましさ、盗んでも盗みきれない天才達の発想、
そんな要素が重なって学生に戻ったのですが、
今思えば
あの時あのタイミングであの仕事をしたおかげで、
インターネットが無ければどうすればいいのかがわかるし、
インターネットで情報が見つかることのありがたみや、
足で探す情報とネットの情報の質の違いを頭の隅においておくことができている。

これらは、まだ結果となって帰ってきていないけど、今後確実に生きてくるという自信が更に着きました。


なんだか、過去の自慢話のようになってなりたくないおっさんになりそうな危険な香りがするので、昔話はこの辺にします。


頭に残ったフレーズ


なんかホントは読んでいないような感想になってきたので、頭に残った点をいくつか紹介

モスコミュールと餃子で例えて

自分の仕事についてきちんと考えてきた人は、他の人の仕事を見たとき、そこに至るプロセスが見えてくる

これって、本当にその通りで、特に技術者について言えると思うけど、
一度自分で調べて実装すると、その後より良いコード等を見たときにそれがなぜ良いのかわります。


本来、皆そのプロセスを経験しているはずだけど、なかなか自分の成長の道具としていかせてないのは気づいていないのでしょうか?


ちなみに、僕の会社にインターンで来ているエンジニアの子は、無理矢理、位置情報を扱うライブラリと絵文字のライブラリを作らせてみたらエラく急成長しました。
元々、センスがいいのか、色々なサイトを自分が実装した知識と照らし会わせてみているし、もう半年もしたらあっさり抜かれんだろうなと思います。
このまま入社してほしいなー


三匹のこぶた

三匹とも賢かったという可能性もあるのではないだろうか。

来ました!目から鱗!

今まで考えてもいなかった。もっと何事も多角的に考えないとダメっすね。


確かに、家ができる前にオオカミがきたら、時間をかけすぎていた末っ子はバカでしかない。
WEBサービスでいうと、どんなにいいアイデアでも、最初から大きな設計をして時間をかけていては、機を逸してしまいます。
こんなことよくあります。


逆に、長男のように、とりあえず速攻で作ったはいいが、設計がしっかりしていないので、すぐにボロが出て流行ったときに対応することができないということもあります。
でも、スタートラインには立てるので、もしかしたら三男よりいいのではないでしょうか?


次男次男で、長男の家が壊されたあとレンガの家ができるまでの時間を稼ぐことができるが結局は更に先ではダメになっちゃう。
これは何ともWEBサービスに例えがたいけど、一人目が崩れたときに前に出れるという意味では悪くない。


そういう意味で、

  • とにかく早く作り上げる人(長男)
  • 作った者を軌道に乗せる人(次男
  • しっかりと運用する人(末っ子)

の3人は別々のところで重要になってくるのでしょう。


webサービスでも、数を打ちまくってても当たらないし、運用だけ得意でも当たらない。同じですね。


ちなみに僕はずっと長男型だと思っていたけど、最近末っ子も面白いと思ってます。
イヤ、どちらかと言うと末っ子の方がおもしろいのかも。と、見せかけて次男なのか??


なんせ長男型は9割が失敗の連続だから、精神的に相当タフでないといけません。
逆に末っ子は根気がいるし失敗したときのリスクもでかいけど、大きな成功の瞬間にたち会える特権があります。


やはり三者三様でいいところがあれば悪いところがありますね。


なぜ学校で勉強することが大切なのか

学校は強制的に頭を使わせるからだ

いい回答です。
僕じゃ思いつかないです。


なぜなら、僕は学校そのものが大好きで、
勉強も単純な計算問題や漢字の書き取りや暗記は大嫌いだったけど、
勉強そのものはパズルみたいでいつも楽しいと思ってました。
気づかなかったけど、
そこで勉強するという行為をしたからこそ、
今考えることができたり、世の中を楽しくとらえることができているのかもしれません。


例えば、歴史が変わっていくこととか、あの時社会をさぼってたら何が面白いかわからなかったと思います。



結論として、僕にとっては当たり前のことを言っている本だと思ったけど、
それを論理づけて説明いてくれるいい本だと思いました。


この本をくれた社長、どうもありがとうございました。